「四天王寺」へ行ってきた
大阪旅行中に天王寺駅前に宿泊する機会がありました。ミーハーな私は「あべのハルカス」に登って浮かれていたのですが(あべのべあには会えませんでした。全然関係無いですが、熊本でもくまモンには会えませんでした。岐阜のやななは会える前に引退してしまいました。なかなかゆるキャラにはお会いできませんが、ゆるキャラの皆さんは地元にいらっしゃるのでしょうか。)、そう言えばテレビで仏教寺院としては最古である「四天王寺」が天王寺地区にある事を思い出した。早速ネットと展望台からだいだいの場所を確認し、近くにある事を確認しました。これも何かの縁と、翌朝行ってみる事にしました。ちなみに天王寺と言う名称そのものが四天王寺の別称でした。四天王寺の方が先なのですね。
天王寺駅から北へ商店街を進んでいくと、四天王寺の名前を冠した病院や学校を見ました。寺院の敷地も町中なのに広大です。この寺院を中心に町が広がっていったんではないかと想像されます。
石鳥居 重要文化財
西側にある鳥居です。寺院なのに!!。
鳥居の上にある額に「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてありますが、これは「 おシャカさんが説法を説く所であり、ここが極楽の東門の中心である」といった意味だそうです。この額は箕の形をしており「チリトリ」のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しているそうです。
西重門
「 四天王寺」は、推古天皇元年(593)に建立されたそうです(1400年以上も前!!。)。「日本書紀」では、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、「この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願し、勝利の後その誓いを果すために、四天王寺が建立されたと記述されているそうです。
奥に見えるのが「中心伽藍」です。聖徳太子のご本地仏である救世観音をお祀りし、四方を四天王が守護しています。第二次世界大戦後に再建された建物だそうですが、南から北へ中門(仁王門)、五重塔、金堂、講堂を一直線に配置し、中門の左右から出た回廊が講堂の左右に達する「四天王寺式伽藍配置」を踏襲しているそうです。
中門
中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。北へ一直線に建物が配置されているため、目の前に五重塔が見えます。東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士だそうです。
四天王寺は歴史が古く、敷地が広大なため、様々お堂や宝物館などの施設もあります。
全て回るのは不可能でしたが、「石舞台」「庚申堂」「亀井不動尊」など、歴史のある建物を見たりお参りすることができました。ふらっと来たわりに充実した時間を過ごす事ができました。皆さんも、ぜひ一度訪れて歴史を感じてみてください。
2月3日に天王寺蕪(かぶら)の味噌汁を食べて、無病息災・厄除け開運を祈る
「天王寺かぶら汁」
「天王寺蕪」は「なにわ伝統野菜」の一つに指定されており、古くは四天王寺境内も含めて天王寺界隈で栽培されていたご当地野菜との事です。
寒い季節に竹垣などに引っ掛けて干された蕪は、一たび食すれば体が温まる効果があるという天王寺かぶら汁は、薬としても使用されていたとか。
たまたまお邪魔した日に、無料休憩所の和労堂で限定数で提供していました。有料ですがラッキーでした。
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・過去の他の聖徳太子創建のお寺の記事です
「諏訪大社・上社前宮」へ行ってきた
この記事は「諏訪大社・下社春宮へ行ってきた」の続きです。
下社春宮の次は、湖の反対側にある「上社前宮」へ向かいました。
町の中を進んでいくと、森が見えてきました。奥が前宮です。
境内
立派な狛犬と鳥居。左奥に見える建物は「十間廊」と呼ばれる建物。「御頭祭」が行われる場所です。毎年4月15日に、鹿や猪の頭の剥製がお供えされます。現在は剥製が使われているますが、江戸時代の資料に、白い兎が松の棒で串刺しにされたものや鹿や猪の焼き皮と海草が串に刺さって飾られていたり、鹿の脳和え・生鹿・生兎・切兎・兎煎る・鹿の五臓などがお供えされた内容が残っているそうです。
なんだか恐ろしい様相ですが、お供えされる内容から、狩猟に関係したお祭りなのではと推測される人もいるようです。ここ、前宮の祭神を建御名方神では無く先住民の信仰である「ミシャグジ神」とする説もあるようで、その太古からの信仰が現在に引き継がれてそのような祭りがあるのではといった事のようです。
諏訪には「甲賀三郎」の伝説や、「御柱祭」といった不思議な伝説や祭りが残っており、確かに太古の昔に何かあったのではとロマンを感じさせます。
さらに奥に行くと森が深くなります。
前宮・拝所
諏訪の祭祀の発祥地とされる場所です。上社大祝(おおほうり・神に仕える神職のような意味らしいです。)の始祖とされる諏訪氏が初めて大祝に就いて以来、大祝の居館が設けられていたそうです。大祝は神体と同視(= 現人神)されていたことから、その居館は「神殿(ごうどの)」と尊称され、周辺は「神原(ごうばら)」と呼ばれていたとの事。諏訪信仰はここから始まったのですね。
森に中にある社は、落ち着いた雰囲気の中に木々の生命力を感じられる気がします。
「水眼(すいが)の清流」
向かって左脇に見えてくるのが「水眼(すいが)の清流」です。これが前宮の御手洗川となり、御神水とされてきたそうです。かつてはここで、神事に先だって身を清めたそうです。奥に御柱が見えます。
上社前宮は諏訪信仰発祥の地ですが、重々しい感じでは無く、何か生命の明るさのような雰囲気がある場所でした(個人の意見です)。皆さんもあの雰囲気を、実際に訪れていただいて味わっていただきたいと思います。
「金峯山寺」へ行ってきた
これは「吉野山へ行ってきた(7)」の続きです。
「金峯山寺(きんぷせんじ)」は、吉野山にある金峰山修験本宗(修験道)の本山だそうです。
大和の国 、吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山(きんぷせん)と呼ばれ、古代より世に広く知られた聖域だったそうです。この金峯山に「役行者」が白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・「金剛蔵王大権現」を感得されたそうです。この姿を山桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に祭祀されたとの事。これが金峯山寺の開創だと伝えられているそうです。
ただ、役行者が伝説の人物(続日本紀に記述があるので、実在の人物と考えられています。)すぎて金峯山寺開創の正確な事情、時期、創立当初どのような寺院であったかなどについては資料が不足しているとの事でした。
二王門(仁王門、国宝)
立派な山門です。室町時代の康正2年(1456年)の再興と言われています。左右にある阿吽の仁王像も5mもあり、重要文化財へ指定されているそうです。
本堂(蔵王堂、国宝 )
金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体が安置されていらっしゃいます。その他に多数の仏像もいらっしゃいます。
重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル、ととても大きいです。こんな山の中に本当に驚きます。
秘仏本尊蔵王権現三体は、本地仏の釈迦如来(過去世)、千手観音(現在世)、弥勒菩薩(未来世)を表されているそうです。普段は秘仏として拝観できませんが、特別ご開帳される事があり、私はお会いする事ができました。
暗い本堂の中、巨大な蔵王権現が浮かび上がる姿は本当に神秘的です。何も感じないタイプの私ですが、自然と頭が下がります。こんな場所にこんな巨大な物があるなんてと驚き、神秘的な空間に驚き、そんな自分にも驚きました。信仰には疎い私ですが、確かに古くからの信仰の場なんだろうなーと実感できると思います。皆さんも一度ご体験してみてはいかがでしょうか。
ちなみに、金峰山修験本宗(修験道)の本山だけあって「大峯修行体験」ができるみたいです。男性だけでは無く女性も参加できる修行もあるみたいですが、内容は中々ハードです。日程も決まっていますし、ハードルは高い気がします。私の信仰心の問題かもしれませんが。
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「諏訪大社・下社春宮へ行ってきた」
この記事は「諏訪大社・下社秋宮へ行ってきた」の続きです。
下社秋宮へ行った後、「下社春宮」へ向かいました。秋宮から西へ約1kmのくらいの位置です。
通りの途中に大きな鳥居があります。なんでも昔は社頭から真直ぐ800m程伸びる道路は春宮の専用道路だったとの事。
鳥居の向こうに見えるのは「下馬橋」です。参道途中にあり、身分にかかわらず馬から下りて渡らなければならないとされ物の名残です。室町時代造営で下社では最古の建造物と言われており、現在も遷座祭で神輿のみが渡るそうです。
神楽殿
秋宮と比べると、なんだか静かな感じでした。落ち着きます。
幣拝殿(重要文化財)
「下社春宮」は毎年2月ー7月に祭神が祀られていらっしゃるそうです。
江戸時代(1780年)落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重要文化財)が並ぶ様式です。
非常に落ち着いた雰囲気でお参りする事ができました。
「下社春宮」に来た時には、すぐ近くには「万治の石仏」と言うインパクトのある仏様がいらっしゃるので、寄ってみたらいかがでしょうか。緑豊かな素敵な小道の向こうにありました。
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「神倉神社」へ行ってきた
今年も2月6日に、和歌山県「神倉神社」で「御燈祭」が開催されました。雨が降ろうが雪が舞おうが、毎年2月6日、白装束に身を固めた2000人とも言われる上り子が、午後8時、松明に火をつけ法螺貝を合図に538段の石段を一気に駆け下る勇壮な火の神事です。どのくらい凄いかと言うと、写真で見ると、あまりの規模から山火事にしか見えません(個人の意見です)。 NHK大河ドラマ「平清盛」で、 崇徳上皇 を演じられた「井浦 新」さんは、同じくNHK「日曜美術館」で、御燈祭に参加されてましたが、火の勢いが凄くて服が焦げてました。
平安の頃、白河上皇が頻繁に「熊野御幸」をされていたことを知り、「熊野古道」や「お伊勢さん」がブームだった頃だったため、私も「熊野詣で」に行って見る事にしました。その時「熊野三山」の一山である「熊野速玉大社」さんの摂社として「神倉神社」さんに寄らせていただいたのです。御燈祭については映像を見たことがあったため、どんな物だろうな~くらいのイメージでした。
行って見ると、神社の?神倉山の?入り口の石段下に石の手水鉢がありましたが、そこにはなぜか大きい蟹がいました。近くに川も何も無い気がしたのですが、あそこに住んでいるのでしょうか?。判らなかったので、ご存知の方、宜しければ教えてください。
そうして入り口の鳥居から、上を見上げた瞬間、これを駆け下りるのは絶対無理だろと正直思いました。
参道麓の鳥居
イメージはバ~ン!!て感じの階段です。あまりに急なため、別の女性が登るのを諦めていました。こんな角度の階段走り下りたら大けがするでしょ。
石段は538段在り、自然石(花崗岩)を組み合わせて築かれたもので、幅は平均約4メートル、高さと奥行きは一定では無く、おおよそ高さ25センチメートル、奥行きは30から40センチメートルだそうです。なんと建久4年(1193年)に源頼朝が寄進したと伝えらているそうです。
頑張って登ると、15分ほどで神社にたどり着ける事ができました。
そうして階段は無事だったのに、平らな石畳の参道に出たらばなぜかすっころびました。気を抜いた時が一番危ないという事を証明してしまいました。
神倉神社・ご神体「ゴトビキ岩」
祭神は「天照大神」と「高倉下命」を祀ってらっしゃいます。
山上にある大きな岩がゴトビキ岩(「琴引岩」?。ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言らしい)と呼ばれる巨岩がご神体として祀られています。熊野権現が諸国遍歴の末に、熊野で最初に降臨した場所であるとも言われているそうで、熊野速玉大社奥院と見なされる事があるそうです。
「古事記」、「日本書紀」によれば、神倉山は、神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)の山であるとの記述があるそうで、古代から何らかの信仰の対象であったのかもしれません。確かに山に登って山頂にこんな岩があったら、大自然の力を感じますね。
ちなみにあの、「平家物語」にも登場するらしいです。
お参りすると、今度は大きな蛇がいました。蟹と言い、蛇と言い、生命の力が強い空間である事は間違い無いと思います。
新宮市の街並みと太平洋
頂上から見た景色です。向こうに見えるのは熊野灘でしょうか。
帰りは当然あの階段を下りていったのですが、登るより怖かったです。滑りにくいスニーカーか登山靴で行くことをお勧めします。再度こんな所どうやって駆け下りるんだと本当に思いました。YouTubeなどで検索すると「御燈祭」の凄さが判ると思いますので、一度見て見てください。私が言っている事が判ると思います。
興味がある方は実際に登ってみるのが、一番間違い無いと思います。
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「諏訪大社・下社秋宮へ行ってきた」
NHK大河ドラマ「真田丸」、中々面白かったです。NHKの受信料を払っても良いなと思った久々のドラマでした。堺雅人さんと草刈正雄さんがかっこよかった。「平清盛」、「八重の桜」、以外はつまらなくて最近はあまり見ていませんでしたが、全編見てしまいました。京都や奈良、大阪などのドラマの舞台をまた訪れてみたいなーと今は考えております。ちなみに真田家の故郷である長野県には、以前「戸隠神社」さんや「善光寺」さんに行った事がありましたが、「諏訪大社」さんにも行った事があります。
「諏訪大社」さんは草刈正雄さん演じる真田 昌幸が仕えた武田信玄からの信仰が厚く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣したと伝えられています。真田丸でも二代目である武田勝頼の後ろに 『諏訪 上下大明神』の掛け軸が飾ってありました。
最近のパワースポットブームで書籍に載っていたりするので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。私としては「御柱祭」であったり、最近の研究で「稲作」が最後までこの地にやってこなかった説の方がピンときます。中々の「まつわろぬ」度合いではありませんか。
「諏訪大社」さんは「諏訪大社」と名前がありますが、一つの神社さんを指すのでは無く、諏訪湖周辺4か所にある神社の総称です。本殿と呼ばれる建物が無く、代りに秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として信仰していらっしゃるそうです。創建の年代は不明だそうですが、「古事記」や「日本書紀」にも諏訪の地についての記載がある事から、日本最古の神社の1つと言われているそうです。
確かに、奈良の「大神神社」さんも祀ってらっしゃるのは「三輪山」でした。
古代の神社には社殿がなかったと言われているそうなので、歴史を感じますね。
下社は秋宮・春宮が在りますが、上社と異なり二宮の地位は同格だそうです。なんと、御霊代(依り代)が2月と8月に両社間を移動するそうです。時期によってお留守の時
があるのでご注意?なんでしょうか?。
まず私は、下社秋宮へお参りに行きました。こちらには毎年8月から翌1月に祭神が祀られているそうです。
早速みつかりました御柱
社殿の四隅に御柱(おんばしら)が立っています(御柱は一から四の順に短く細くなり、上空から見た場合に時計回りに配置される。)。なんと、由来は明らかでなく色々な説があるそうです。
神楽殿(重要文化財)江戸時代、天保6年(1835年)造営。
立派なしめ縄の神楽殿。狛犬さんも立派です。
幣拝殿(重要文化財)江戸時代、安永10年(1781年)落成。
御祭神は
建御名方神 (たけみなかたのかみ)-大国主命の次男。国譲りの際に反対し、武甕槌命に相撲を挑んだが負けてしまい、諏訪まで逃れたそうです。そして、以後は諏訪から他の土地へ出ないこと、天津神の命に従うことを誓ったと言われています。詳しくは古事記をご参照ください。
八坂刀売神 (やさかとめのかみ) - 主祭神。建御名方神の妃神です。
八重事代主神 (やえことしろぬしのかみ) - 合祀。建御名方神の兄神。国譲りの際にはすぐ服従したとされています。詳しくは古事記をご参照ください。
拝殿奥の神明造りの建物が宝殿で、宝殿のさらに奥が御神座とも相殿とも言われ、御神木をお祀りする下社の最も重要な場所だそうです。
参拝させていただくと、清んだ雰囲気が気持ちの良い空間でした。
寝入り杉(根入り杉?)
樹齢700年の杉の巨木。何と、真夜中(丑三つ時)を過ぎるとお疲れなのか枝先を垂れ下げて寝入ってしまい、いびきが聞こえると言われているそうです。このことから「寝入り杉」と伝えられているそうです。御神木です。
御神湯
温泉地だからでしょうか。ちなみ本当に熱いのでご注意ください。
1日で全ての神社を回る予定でしたので、レンタカーをお借りしました。電車やバスなど公共の交通機関もありますが、時間に余裕が無いと厳しいと思います。御朱印を集めていらっしゃる方は、とある理由で全ての神社さんでいただいた方が良いと思います。
パワースポットの歩き方 [ 寺尾玲子、加門七海、天宮視子、他 ]
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「平安神宮」へ行ってきた
私自身、観光客として結構京都をウロチョロさせていただいておりましたが、そんな中、「京都五社めぐり」と言う物があるのを知りました。
なんでも平安京は、方角を司る四神である北の玄武、東の蒼龍、南の朱雀、西の白虎が守護する「四神相応の地」としてが造られたそうです。
その中で、方角と深い関係にある神社を巡るのが、「京都五社めぐり」なんだそうです。水清き賀茂川が流れ出る北の玄武「上賀茂神社」(行ったね)、西の桂川を渡ったところには白虎「松尾大社」(行ったよ)、東山の麓にある蒼龍「八坂神社」(もちろん行った)、鴨川と桂川が出合う南には朱雀「城南宮」(行きましたよ)、と東西南北の四神に対応する神社にお参りに行くだけでは無く、中央を守護する「平安神宮」にもお参りに行き京都五社が完成するらしいです。(京都の中心だから平安神宮じゃなくて御所なんじゃねと考えたあなた、それを口にするのは野暮って物です。心の中に留めておくのが吉。)
ちなみに「京都五社めぐりスタンプラリー」を開催されているそうで、京都の四神相応の五社をめぐると、最初にお参りした神社で「五社めぐり四神色紙(初穂料要)」を授与され、五社をめぐり、すべての御朱印(有料ですからね、ちゃんと納めましょう。だけどこれってスタンプでは無い気がしないでもない。)を集めると「満願記念品しおり」を最後の神社でいただけるそうです。
「平安神宮」さんは、バスで前を通る度に大きな鳥居があって気になっていたのですが、お参りした事が無かったため行ってみる事にしました。
鳥居(登録有形文化財)
遠くから見えてました。大鳥居ですね。昭和3年に昭和天皇の御大典が京都で行われたのを記念して、平安講社が昭和4年に造営したものだそうです。
とてつもなく広くて長い参道
平安神宮は平安遷都1100年を記念して、明治28年に平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創建されたそうです。1940年(昭和15年)には、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇(NHK大河ドラマ「八重の桜」で染様が演じていらっしゃいました。)が祭神に加えられたそうです。
應天門(重要文化財)
境内
境内もとんでもなく広かったです。
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものだそうです。正面に見える外拝殿(重要文化財) は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模しているとの事。
左右には 「左近の桜・右近の橘」(コピー)も見えます。 左近の桜・右近の橘について詳しくはネットにて(ぶん投げ)。
外拝殿(重要文化財)
こちらは「大極殿」とも呼ばれており、大極殿は平安京の大内裏の正庁朝堂院の正殿で、即位、朝賀をはじめ国の主要な儀式が行われる中枢であるとの事。ちなみ大極とは、宇宙の本体・万物生成の根源を示す言葉で、不動の指針北極星に比定され、天皇の坐す御殿を意味するそうです。
中は荘厳な雰囲気が在り、お参りした時には、なるほど京都を守ってらっしゃるんだなーと実感できました。ブログの発言は当時は本当にそう思ったので編集しませんが、謝罪します。
写真で見ていただいた通り、とてつもなく広いので、まだまだ見どころがある場所がたくさんありました。周囲には「平安神宮神苑」と言う総面積33,000㎡(約10,000坪)の広大な池泉回遊式庭園が、ご社殿を取り囲むようにあります。有料ですが、国の名勝に指定されていますので、時間に余裕が在るときには拝観してはいかがでしょうか。