「吉水神社」へ行ってきた
これは「金峯山寺」へ行ってきたの続きです。
吉野山へ行った際に、歌舞伎の演目である「義経千本桜」のように、実際に「源義経」公がこの地を訪れていた事を知りました。
「静御前」と「源義経」公の別れの場所があるとの事ですので、行ってみる事にしました。その場所が「吉水神社」と言う場所です。
吉水神社
御祭神は後醍醐天皇を主祭神とし、併せて南朝方の忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀されています。
白鳳年間に役行者により建立されたと伝えられますが、金峯山寺の僧坊・吉水院(きっすいいん)だったそうです。明治維新の時に、悪名高い「神仏分離(廃仏毀釈)」により、天皇を仏式で祭られている事が問題視され神社になった経緯があるとの事。
後醍醐天皇が詠まれたとされる歌
南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に潜幸したとき、宗信法印の援護を受けて吉水院に行宮を設け、一時居所としたそうです。南朝政権(吉野朝廷)を樹立した場所なんですね。
敷地内にユネスコに世界遺産として登録された「書院」があり、そこには「後醍醐天皇玉座」が保存、公開されています。また、後醍醐天皇に関係した品も展示されており、有料ですが、一見の価値ありだと思います。
境内入り口
写真左手奥が書院入り口、右手奥が神社になります。
1185年、源義経公(私のイメージは「平清盛」の神木君です。)は兄頼朝公の追手から逃れ、静御前や弁慶と共に、ここ吉水神社を訪れたそうです。
義経一行は、山伏姿に身をやつして大峰山を目指しさらにここから南へ下りましたが、大峰山が女人禁制だったため、静御前とはここで別れましたが、結果的にここが義経公と静御前の永久の別れの地となった訳です。捕らえられた静御前が頼朝公に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた時に詠んだ歌にはこの事が歌われているのですね。
「吉野山 峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
書院には「色々威腹巻 」源義経公の鎧が展示してあります。歴史好きにはたまらない凄い場所です。
また、ここは豊臣秀吉が、徳川家康や前田利家や伊達正宗ら武将を引き連れて盛大な花見の宴を催した事で知られています。その御一行は5千名とも言われ、その時豊臣秀吉が詠んだと言われる歌も残っています。
「年月をこころにかけし吉野山花のさかりを今日見つるかな」
残念ながら、桜の時期では無かったため吉水神社からの景色はこんな感じです。
桜の季節はこんな感じになるそうです。
注、設置された看板です。
また、敷地内には書院以外にも庭園など見てまわれるところが沢山あります。
庭園
向こうに金峯山寺が見えます。
右側奥に見えるのは「北闕門」と呼ばれる門です。ここは元々、修験者が大峰山から無事に下山できるように祈るところでしたが、後醍醐天皇は、いつの日か北闕(京都)に凱旋できる時を念じて、この北闕門に立ち、京都の空を仰ぎながら「九字」を切られたられたそうです。「九字真法」による邪気払いの作法が看板に書いてありましたので、私もちょっとやってみました。効果の程は・・・判りません。
源義経公だけでは無く、色々な歴史に触れる事ができる場所でした。それは吉野の山全体にも言える事かもしれません。今度は桜の季節に訪れて、昔の人も見たであろう、素晴らしい景色を見てみたいと思います。
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