高野山に行ってきた(6)
これは高野山へ行ってきた(5)の続きです。
金剛峯寺内で蟠龍庭(ばんりゅうてい) も見てきました。
蟠龍庭(ばんりゅうてい)は弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されたそうです。2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級。石庭では、雲海の中で向かって左に雄、向かって右に雌の一対の龍が向かい合い、奥殿を守っているように表現されているとの事。龍を表す石は、お弘法大師誕生の地である四国の花崗岩が、雲海を表す白川砂は京都のものが使われているようです。
この綺麗に整えられた庭では、時間が止まっているのではと感じます
その他にも金剛峯寺では新別殿(しんべつでん)で無料のおもてなしのお茶とお菓子がいただけます。時間が合えばお坊さんの講和も聞く事ができるので、ぜひ一度訪れてみてください。
続く
【過去の記事】
・高野山に行ってきた(1)
・高野山に行ってきた(2)
・高野山に行ってきた(3)
・高野山に行ってきた(4)
・高野山に行ってきた(5)
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吉野山に行ってきた(3)
これは吉野山に行ってきた(2)の続きです。
当日雨が降っていたのですが、止んだかな〜と思いそのまま観光しようと思いました。
しかし、この坂を真っ白い雲が急に不気味な風とともに登ってきたのです。
怖かったので近くまで来ていた宿に駆け込みました。
そうすると一気に土砂降りの雨となりました。いや〜、山の天気は変わりやすいですね〜。
(不気味な画像は必死になって逃げていたのでありません。)
<当日は「さこや」さんで予約していました。
さこやさんは、創業二百余年、吉野山で最も古い伝統と由緒を誇り、古くは本居宣長、頼山陽等が泊り、文人・歌人の書画、掛軸がそのまま残り展示してあります。
古い書物に名前が出ています。
大和路吉野山 さこや
歴史が感じられます。
大和路吉野山 さこや
何だか歴史的人物の名前が。
大和路吉野山 さこや
すごい歴史がある物だと女将が説明されてました。
私はイライラしていたため内容は耳に残っていません。
大和路吉野山 さこや
夕飯は吉野の葛や色々な名産が使われ、量も多くひじょうに満足できる物でした。
宿はあの「東郷平八郎」が宿泊したと言われる古くて、歴史のある部屋でした。ちょっと写真を撮るのが怖かったので画像は残っていません。
お風呂は温泉で、露天風呂ではなんとサービスで日本酒「やたがらす」が飲み放題です。外の景色を眺めながら升酒をチビチビやるなんて風情があると思います。私は下戸なんで飲みませんでしたが、連れが言うには飲みやすいそうです。
ただし、ネットでこの宿の評判を調べるとサービスに関して厳しい意見が出てきます。仲居さんは特定のお客と話していて無視される。宿の人にお願いしてもお願いした事をしてくれない。まったくやる気がない。私が宿泊した限りでは事実だと思います。まずチェックインの時間になっても部屋の準備をしていない。社員の食事の時間なので準備できません、外で観光でもしてますかって、外は大雨です。部屋を間違えられる。部屋には蜘蛛の巣が張っている。食事の時間にも仲居さんは配膳してくれない。お茶を3人にお願いしたけど誰も持ってきてくれない。ets・・・
外国では時々ある事なのですが、日本の宿では久しぶりの対応でした。連れは笑っていましたが、私はひじょうに不愉快でした。宿の人は誰一人悪びれていないので今後も改善は無いと思います。さこやさんに宿泊する時はサービスでは無く、歴史を楽しむようにする事をお奨めいたします。ちなみに私は二度とはここには宿泊しません。
続く
【過去の記事】
・吉野山に行ってきた
・吉野山に行ってきた(2)
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吉野山に行ってきた(2)
これは「吉野山に行ってきた」の続きです。
お昼過ぎに着いたのでお腹が空いていました。そんな空腹な状態でロープウェイの吉野山駅に降り立つと・・・なんと駅の目の前で鮎を焼いて売っているじゃありませんか。
あまりの美味しそうな匂いに耐え切れず買っちゃいました。
なんと!!、頭から丸ごと骨までたべられます!!。
とっても甘くて美味しかった〜。
生臭さとか苦味とか全く無かったです。
鮎って美味しいんだなーと初めて知った。
ここからが、修行場としての吉野山です。
初めて「くずうどん」をいただきました。
吉野の名産、葛と小麦粉を打ち合わせたくずうどんはのどごしがよく滑らかな食感です。
気持ちよくつるつる食べれます。美味しかった〜。
銅鳥居(かねのとりい)
銅製の鳥居で高さ約8m。吉野山から山上ケ岳まで4つある門のうちの最初で、「発心門」[ほっしんもん]と書かれた扁額を掲げています。昔から修験者は鳥居に手を触れ、「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀[みだ]の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山したそうです。もとはなんとあの東大寺大仏鋳造の余った銅で建立したと言われています。銅製の鳥居としては日本最古の物と言われています。
続く
【過去の記事】
・吉野山に行ってきた
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吉野山に行ってきた
吉野山(よしのやま)は奈良県の中央部・吉野郡吉野町にある吉野川(紀の川)南岸から大峰山脈へと南北に続く約8キロメートルに及ぶ尾根続きの山稜の総称、または金峯山寺を中心とした社寺が点在する地域の広域地名です(2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、ユネスコの世界遺産に認定)。
古くから花の名所として知られており、特に桜は有名で、その地域ごとに下千本(しもせんぼん)、中千本(なかせんぼん)、上千本(かみせんぼん)、奥千本(おくせんぼん)と呼ばれます(平成2年に日本さくら名所100選に選定)。
修験道の信仰登山の地として知られる険しい山の中ですが、1336年(建武3年)、後醍醐天皇が、南朝(吉野朝)を開いたり、あの静御前と源義経最後の逢瀬の地であったり、西行など有名な歌人の歌に読まれたりと、ひじょうに歴史のある土地です。
吉野駅からロープウエイで山の上へ行きます
山の上に到着
後で知ったのですが、このロープウェイ、日本最古の物だそうです。どうりで揺れたはずです(笑)。
昭和4年から運行され、平成24年機械遺産に認定されています。
次回に続く・・・
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高野山へ行ってきた(5)
高野山へ行ってきた(4)へ行ってきたの続きです。
ふ饅頭など食べまして、周辺をさらに散策していきますと、NHK大河ドラマで放送している平清盛に所縁のあるものが展示している高野山霊宝館を見つけました。
施設内には国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵するほか、5万点以上を数える資料を収集・保管しているそうです。
平清盛は金堂に胎蔵界大日如来の曼荼羅を奉納しました。その時に清盛自身の頭の血を混ぜて描いたそうです。この曼荼羅が「血曼荼羅」として現在まで大切に伝えられています。金堂には現在レプリカが掲げられており、本物はここ高野山霊宝館にあります。
中には歴史のある様々な物が展示されており、自分のような門外漢でもへー、と関心しながら眺めておりました。
血曼荼羅に関してはお恥ずかしながら最初何か判りませんでした。天井から床まであるような大きな物で、しかもかなり色が黒ずんでしまっており、指摘されないと高野山内で良く見る極彩色な曼荼羅とは気付かなかったと思います。
その時は、この血曼荼羅みたいに価値ある物に気付かずに生きてるかもしれんなーとシミジミしてしまいました。
続く
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橿原神宮へ行ってきた
先日、奈良県へ行ってきました。
当初、別な目的地へ向かう途中だったため橿原神宮は通りすぎるだけの予定でしたが、電車の中に荷物を置き忘れた事が発覚!!。その荷物が橿原神宮前駅にある事が判ったため、駅で荷物を受け取り、そのまま橿原神宮へ向かう事にしました。
目的地を変更できる事はぶらり旅のだいご味でもあります。これも何かのご縁じゃないかと考えたのです。
橿原神宮は、記紀において初代天皇とされている神武天皇を祀るため、神武天皇の宮(畝傍橿原宮)があったとされるこの地に、橿原神宮創建の民間有志の請願に感銘を受けた明治天皇により、明治23年(1890年)4月2日に官幣大社として創建されました。祭神は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)。
最近ではパワースポットとして有名だそうです。
橿原神宮(外拝殿)
超特大の絵馬
七五三のお参りに来た親子連れが目の前で写真を撮っていました。自分も撮りましたが。
雨上がりでしたので向こうが霞んでいます
幻想的な光景でした。向こうに見えるのは畝傍山でしょうか?
※「古事記」によると、神武天皇が宮殿を造った地が畝傍山の麓と言われています。耳成山、香具山とともに国の名勝指定を受けた大和三山の一つです。
広い・・・
明治神宮や熱田神宮、伊勢神宮にも言った事はありますが、それらとは違ってまっ平らに広い・・。
平日の、雨と言う事もあり、人はほとんどいませんでした。落ち着いた時間が流れていました。
時間が無くあまり長くは滞在できませんでしたが、今度は神武天皇陵にまで足を伸ばしたいと思います。
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高野山へ行ってきた(4)
高野山へ行ってきた(3)の続きです。
高野山は色々なお寺がたくさんあります。一日、二日では全て廻るのは難しいのですが、頑張って色々廻ってきました。
空海和尚、真然大徳(だいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。空海和尚は、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。
写真撮影は禁止されていますので、ご本尊の写真はありませんが圧巻です。高野山に来たら一度見てみる事をお奨めします。
空海和尚の伽藍建立計画案である『御図記(ごずき)』に基づき、真然大徳によって建立されました。その計画とは、大日如来の密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として大塔と二基一対として建立する計画でした。しかし、諸般の事情により建設が遅れ、仁和2年(886年)に建立されました。
西塔では、大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されています。
御影堂(みえどう)
空海和尚の持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には空海和尚の十大弟子像が掲げられています。
このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでしたが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。
三鈷の松(さんこのまつ)
弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、空海和尚はこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。
何も考えず見ていてもわくわくするのですが、簡単に勉強していくとより楽しめます。ここだけでなく、密教の教えにしたがってお寺などが配置されています。
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