ぶらり旅ー芭蕉先輩には負けませんよ~ー

ふらりと旅した先を勝手にご紹介しています。

高野山へ行ってきた(4)

高野山へ行ってきた(3)の続きです。

高野山は色々なお寺がたくさんあります。一日、二日では全て廻るのは難しいのですが、頑張って色々廻ってきました。

大塔(だいとう)
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空海和尚、真然大徳(だいとく)と二代を費やして816年から887年ごろに完成したと伝えられます。空海和尚は、この大塔を真言密教の根本道場におけるシンボルとして建立されたので、根本大塔(こんぽんだいとう)と呼んでいます。
多宝塔様式としては日本最初のものといわれ、本尊は胎蔵大日如来、周りには金剛界の四仏(しぶつ)が取り囲み、16本の柱には堂本印象画伯の筆による十六大菩薩(じゅうろくだいぼさつ)、四隅の壁には密教を伝えた八祖(はっそ)像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅(まんだら)として構成されています。
写真撮影は禁止されていますので、ご本尊の写真はありませんが圧巻です。高野山に来たら一度見てみる事をお奨めします。



西塔(さいとう)
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空海和尚の伽藍建立計画案である『御図記(ごずき)』に基づき、真然大徳によって建立されました。その計画とは、大日如来密教世界を具体的に表現する「法界体性塔(ほっかいたいしょうとう)」として大塔と二基一対として建立する計画でした。しかし、諸般の事情により建設が遅れ、仁和2年(886年)に建立されました。
西塔では、大塔の本尊が胎蔵大日如来であるのに対し、金剛界大日如来胎蔵界四仏が奉安されています。



御影堂(みえどう)
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空海和尚の持仏堂として建立されましたが、後に真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安し、御影堂と名付けられました。桁行15.1メートル、梁間15.1メートルの向背付宝形(ほうぎょう)造りで、堂内外陣には空海和尚の十大弟子像が掲げられています。
このお堂は高野山で最重要の聖域であり、限られた方しか堂内に入ることは許されませんでしたが、近年になって旧暦3月21日に執行される「旧正御影供」の前夜、御逮夜法会(おたいやほうえ)の後に外陣への一般参拝が許されるようになりました。



三鈷の松(さんこのまつ)
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弘法大師が唐より帰国される折、明州の浜より真言密教をひろめるにふさわしい場所を求めるため、日本へ向けて三鈷杵(さんこしょう)と呼ばれる法具を投げたところ、たちまち紫雲(しうん)たなびき、雲に乗って日本へ向けて飛んで行きました。後にお大師さまが高野近辺に訪れたところ、狩人から夜な夜な光を放つ松があるとのこと。早速その松へ行ってみると、そこには唐より投げた三鈷杵が引っかかっており、空海和尚はこの地こそ密教をひろめるにふさわしい土地であると決心されたそうです。その松は三鈷杵と同じく三葉の松であり、「三鈷の松」としてまつられるようになりました。

何も考えず見ていてもわくわくするのですが、簡単に勉強していくとより楽しめます。ここだけでなく、密教の教えにしたがってお寺などが配置されています。



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