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「大縣神社」へ行ってきた

これは「田縣神社」へ行ってきたの続きです。 

anheike.hatenablog.com

 田縣神社をお参りした後、そのまま大縣神社へ向かいました。

大縣神社は田縣(たがた)神社の豊年祭と対になるような形で毎年3月15日直前の日曜日、女陰をかたどった山車などが練り歩く豊年祭が行われます。尾張に春を呼ぶ催事と言われており、やはり生命と関係したお祭りと思われます。

名鉄小牧線で「田縣神社前」から「楽田」まで移動します。2~3分の距離ですが、本数の少なさに注意だと思います。楽田駅から下りるて東に真っ直ぐ進むと神社です。

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途中に碑がありますので、迷うことも無いです。

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真っ直ぐ登り坂を歩いていった先に神社がありました。徒歩で20分くらいです。

 

大縣神社鳥居

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祭神は、大縣大神(おおあがたのおおかみ)大縣大神は、国狭槌尊とする説、天津彦根命(大縣主の祖神)とする説、少彦名命とする説、大荒田命(日本武尊の三世孫で迩波縣君の祖)とする説、武恵賀前命(神八井耳命の孫)とする説などがあるそうですが、実ははっきりしていないそうです。ただ、「大縣大神は、尾張国開拓の祖神である」とされており、周囲に大きな古墳群がある事から、尾張氏と関係があるのではと個人的に思います。 境内には、いくつかの境内社があり、昔は別宮二社、末社52社があったとされています。ここは古来より安産・子授など女性の守護神として崇敬されており、女陰をかたどった石などが奉納されています。田縣神社の男根に対応するものではないかと言われています。

社伝によれば「垂仁天皇27年(紀元前3年)に、本宮山の山頂から現在地に移転した」とあるそうですが、現在「本宮山」(「尾張大富士」と呼ばれ、尾張三山の一つに数えられる。)の山頂には、大縣大神の荒魂を祀る本宮社があるそうです。

入り口にはこの神社の説明がありました。

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大縣神社拝殿

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山の冷気が感じられてひやっとしました。 尾張国二の宮として、皆に親しまれているそうです。御社殿は、尾張藩主2代目徳川光友公が寛文元年(1661年)に再興された建物で、尾張造の構造様式を正確に伝へ、「三棟造」・「大縣造」と称され他に類をみない特殊な様式を構え、昭和56年6月5日国の重要文化財の指定を受けているそうです。

 

 姫之宮

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 御祭神の神裔 玉比売命(たまひめのみこと)を祀り、古来より女性の守護神として称えられ、安産・子授け・婦人病 特に縁結びの神様として篤い信仰があるそうです。
裏手には、良縁成就の「むすひ池」がありました。

 

大国恵比須神社

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出雲の大国主神事代主神を祀っています。


大縣神社梅園

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 お邪魔した日は、「梅祭り」が開催されていました。全国の著名な梅園・神社よりご奉納戴いた梅をはじめ紅白300本のしだれ梅があるそうです。

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色とりどりの梅が咲いていました。

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神社は山頂からここまで移転されたそうですが、それでも高い所にあり、周囲が見渡せます。

 

大縣神社から、本宮山の山頂まで歩いていけるコースがあるそうですが、時間も装備も無いため今回は諦めました。次来る時は挑戦したいと思います。

また、周囲に見学できる古墳もあるそうなので、次はそちらも見学したいと思います。

全く時間はいくらあっても足りないものです。皆さんもお時間がある時に挑戦してみてはいかがでしょうか。 

神社が語る古代12氏族の正体 [ 関裕二 ] 

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