「銀閣寺」へ行ってきた
熊野若王子神社をお参りした後、「哲学の道」にある「叶匠寿庵京都茶室棟」で休憩しました。ちなみに風情のある門をくぐって入るため、滅茶苦茶値段が高いんじゃないかと最初びびりましたが、そんな事も無かったです。奥が茶房になっており、とても落ち着いた感じでした。
「ぜんざい」をいただきました
大納言小豆を土鍋で炊き上げ、小豆の風味を生かした上品なお味でした。
その後、「哲学の道」を進み、お寺や神社を横目に「銀閣寺」まで行きました。昔一度来た事があったのですが、何だか参道にオシャレなお店が増えた気がします。
ちなみにご存知の方も多いと思いますが、「銀閣寺」は「金閣寺」と違い、銀ではできておりません。正式名称を「東山慈照寺」といい、「相国寺」の塔頭寺院の一つです。銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営したそうです。
東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されているそうです。つまり通称ですね。 金閣、「飛雲閣(西本願寺境内)」とあわせて京の三閣と京都では言われているとの事。
銀閣(観音殿)
銀閣寺を代表する建物が銀閣(観音殿)です。皆さんも銀閣寺と言えばこの建物を思い浮かべてると思います。銀閣は2層構造で初層は「心空殿」といわれる住宅風様式を取っており、上層は「潮音閣」といわれる禅宗様(唐様)の仏堂になっています。現存する唯一の室町期・東山文化を代表する楼閣庭園建築だそうです。
庭園
銀閣寺の庭園は銀閣(観音殿)前に広がる錦鏡池(きんきょうち)を中心に池泉回遊式庭園を形作っています。この庭園は「西芳寺(通称:苔寺)」の庭園を模して造ったと言われているそうです。残念ながら現在の庭園は江戸時代に改修されたもので、創建当時とは異なっているそうです。
写真の手前は、砂を波形に盛り上げた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、奥の山は円錐型の「向月台(こうげつだい)」と言われています。この形になったのは江戸時代後期との事ですが、昔はどんな形だったのでしょうか。
本堂(方丈)
正面にかかる額には「東山水上行」と書かれています。
本尊として「釈迦牟尼仏」が安置され、江戸期の南宋画家の巨匠、「与謝蕪村(ヨサブソン)」、「池大雅(イケノタイガ)」の襖絵が所蔵されてます。
さらに奥には阿弥陀如来を祀る阿弥陀堂である「東求堂」(国宝)があります。
その奥には庭園と山道があり、山腹にはきれいな湧水があります。「お茶の井」と呼ばれ、今でもお茶会の水として利用されているそうです。足利義政が茶湯として利用したそうなので、まさしく室町の頃から利用されている歴史のある場所ですね。
時間と体力があれば、ぜひ庭園を見てまわっていただきたいと思います。
室町時代の面影を感じられる場所だと思いますよ。